遊び心を忘れた教育が子ども達を苦しめている。
大人はある日突然遊ばなくなるのではない。茹でガエルのように、徐々に椅子に座って情報を認知する行為自体が「学習」であり、高尚な営みなのだと考えるようになる。
人によっては「遊ぶ」という単語に罪悪感を抱く人もいるのではないだろうか。まるで、「遊び」は子どもだけに、勉強の息抜きとして許されるモラトリアムにすぎないのだ、と。
しかし、遊びは決してストレスを解消する娯楽に留まるものではなく、紛れもない学習だ。
本稿では「遊びこそ学びの基礎であり、遊ばずして学習は成功しない」と主張し、その理由を「進化」と絡めて論じていく。